劇団、旗揚げよっこいしょ。

2017年 6月吉日

劇団PinkNoise
プロデューサー 菅原 亜郎

 舞台役者として、商業劇団での技術・製作として、また公共劇場(舞台小屋)のスタッフとして、様々な立場から【日本の演劇・舞台】で、10年近くご飯を食べさせて貰っていました。古来より「劇場には魔物が住む」と言われており、良い意味でも悪い意味でも使う言葉ですが、私もいずれその魔物に取り憑かれた一人です。
 第三舞台の鴻上尚史先生は、
「まず第一舞台がありまして、それはスタッフとキャストが力を合わせた舞台のこと。
第二舞台は観客席。第三舞台は、第一と第二の舞台が共有する幻の舞台。
劇団の自己満足に終わらず、お客さんが付き合いで来ているだけでもない、
最上の形で共有する舞台、ということで第三舞台と名付けました。」
と記しています。舞台の魅力とその奥行きを上手く纏めた、非常に良い表現だと常々感心します。
 劇団四季の浅利慶太先生からは、
「私は霞って食えるんだなと思って生き延びた。腹はいつも空いていた。舞台に立ち続けたかった。
本当にやりたい『芝居』だけでは食っていけないから、食っていける『ミュージカル』をやる」
と習いました。商業劇団として世に認められた氏は後にストリートプレイ(芝居)専用の小屋「自由劇場」を汐留に建立し、
その時のテーマは「さあ、芝居に還ろう」でした。
 実は私たちの日本は、各地、小さな自治体ごと、神事や祝い、祈り事など、多くの形で舞台の文化が長く根付いており、独自に考え発展し守られてきた文化がありました。豊作祈願や、結婚式で振舞われる踊りもそうです。世界から見ても独自の発展もしてきました。歌舞伎や、狂言があり、能楽、浄瑠璃もありました。物語構成の世界スタンダードな「起承転結」のルーツも、諸説あれど世阿弥が開発してまとめた「序破急」という三段構成から生まれたそうです。そんな世界に誇れる背景があるにもかかわらず、各地にあった古の芝居小屋は恒久化にも耐えられずぽつりぽつりと姿を消していき、長引いた不況に行政からは「文化や芸術でメシが食えるか!」と言われ、この20年でもすっかり意識も変わりました。
 ところが昨今、これら背景を乗り越えられるヒントを与えてくれた「インターネット」。毎日、次々と情報、話題が飛び交い、娯楽の形も、その消化も早いのが常識になりました。一個人が、びっくりするほど敷居が低くく、簡単かつ刹那的に、驚きや面白さ、感動の共有が出来てしまう時代です。アッという間に、何千人にも情報が渡し広げられ、それは国境までをも越えます。現実空間でしか有り得なかった人と人のコミュニケーションを、通信の発達は、その表面を超えた「本音やココロのコミュニケーション」まで取れる、根底からえぐり変えされる、強力な社会と言えるまでになりました。
 さて、変わっていくことも文化です。
 この中で、残り続ける変わらないものって? リアルである面白さを訴え続けてきた総合芸術、舞台演劇としての有り方とは?
どういった形で、技術向上、継承、そして観客席との感動を繋がれるかを挑んでみたい。
 そんな思いを胸に、旗を掲げ、幕を開けたいと思います。

(2017年9月一部改定)